「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び逢(あ)うまでの遠い約束」
というフレーズが頭をよぎった。
フレーズにピンと来た方は、年代がばれて困りそうな方か、よほど音楽に詳しい方であろう。
詮索は止めにしよう。
それほどぴったりなシチュエーションが最終日に訪れた。
Airbnbのサイトのサービスの位置づけの1つとして、「暮らすように」宿泊する。ホテルのような宿に「かしこまって」宿泊するのではなくて、あたかも自分の家に「帰る」ように来て、「出かけている」ようなコンセプトなんだそうだ。
そうはいっても、そんなことできないよ。なんだかんだ言ったってよその方の家なんだから、そんな馴れ馴れしいことは。
そう思うのは、どうも日本人の感覚なのかもしれない。
それとも、かしこまらないオーナーであるホストの性格かもしれない。
更に、そのようなホストの性格を形成したオーストラリアの気質なのかもしれない。
日本のおうちでは、キチンとあいさつしてしまうだろう
「こんにちは、いらっしゃいませ」「さようなら。ありがとうございました。」
旅の最終日は、イコール別れの日。
「再び逢うには海外だし、距離も遠いし、あまりに遠い約束」だ。
そんなことを考えているのを先読みしていたのか、全く無視しているのかわからないが、Airbnbのサイトのポリシーに正に則ったかのような行動だった。
その日は火曜日なので、音楽教師の彼女は出勤日。
とても珍しく、朝出会うことができた(しかも最終日に)。
もちろん、彼女の方が先に外出し、帰国の身支度をしている自分は部屋でのそのそとしている。
外出準備中の彼女から、チェックアウトの方法について、簡単に教えてもらった。
「チェックアウトするときは、キーをしないで(部屋のドアの鍵を掛けないという意味)部屋におきっぱなしにして、そのまま出て行ってちょうだいね。それでグッドバイよ」
あまりにあっけない表現。部屋のキーをしなくても玄関がオートロックであることや、エレベーターはキーが無いと反応せずに動かないことから、アパートメントに入ってくることは無いから絶対大丈夫。と彼女は言い切る。
世の中に絶対という言葉は無いのだけど、そんな会話力は無かったし、第一外出前に悠長な話をしている暇はない。
話には続きがあった。
「今日は学校が終わったら17時頃に一旦帰ってくる。その後に食事を外でするので、また外出する。その時にまた会えるかもね。」
いやいや、アクティブな彼女だ。仕事とプライベート、それにホストとしての仕事をきちんと時間で使い分けている。日本に帰ったら、このような時間割を作ることは自分にはできない。
行ってきます、とばかりに彼女は「出勤して」行ってしまった。
時計は朝の8時半を回っていた。
3日間一緒に過ごしたのに、鳥の名前も聞かずに時間が過ぎて行った。