メルボルンマラソン当日の朝に戻る。
号砲はないが、大々的なスタートの合図は、合計3回。
そのうち、自分がスタートする8時の合図の前に、このイベント最大の距離を走る、
フルマラソンのスタートが、更に1時間前の7時。
既に、前日早寝をして、緊張と体調や全体のコンディションを整えるべくに早起きしたため(本当は目が覚めてしまったのだが)、スタートとなるMCG(メルボルンクリケットグラウンド)には6時半ごろには到着してしまったのである。
本当は着替えなどを済ませてその他荷物を預けてしまってもいいのだが、まだ寒いため、薄々のウェアに着替えることは出来ない。まだ1時間半以上凍える覚悟をしなければならないからだ。
まだ厚着のままでいたとき。
JSIE(NPO法人・日本市民スポーツ海外交流協会)の報道担当カメラマンが
「これからスタートラインに行って写真を撮ってくる」
と言っていたので、
「あ、私も行きます」
と付いて行ったのだ。
8時までの1時半暇していても仕方ないし、やはり早くメルボルンマラソンのイベントの一部でも感動を得たかったから、スタートラインのある会場まで行くことにした。
簡単に「ついて行く」
とは言ったが、実はスタートラインまでは結構な距離があったのだ。
しかも、スタートにつこうとしているフルマラソンランナーが大勢で通路をふさいでいた。
別に急いではいなかったが、なかなか前に進めないことに多少苛立ちを覚える。
そうだ、ここはオーストラリア。
ちょっとそこまで、といっても、それなりの距離、大きさがあることを覚悟しなければいけなかった(7回もオーストラリアに行っているのに、忘れていた)
もう一つ。ここはオーストラリア。
細かいことにじたばたしても仕方ない。大きな大陸のように、ゆったりとした心構えをしなければならないのだ。
そうこうしているうちに7時になろうとしている。
いよいよフルマラソンランナーたちのスタート時間だ。
誘ってくれた報道担当カメラマンは報道の腕章をつけていたため、スタートラインまで行ってしまったが、自分はそこまで行けない。
それでも、スタートラインの50メートル手前までは来れた。
カウントダウンはしていないが、「さあ、これからだ」という熱気が伝わってきた。
それもそのはず。
メルボルンマラソンの参加者3万人のうち、フルマラソン参加者は1万人にも及ぶ。
スタートラインからさかのぼって、MCGと全豪テニス会場となるロッドレイバーアリーナの方に向って、スタート待ちをしている、選手たちの長い列。
列はシティでは有名なヤラ・リバー。そのリバー沿いの歩道にはランナーがあふれているため、朝早くから見学に駆け付けているメルボルン市民は土手まで広がっている。
やっぱりそれだけの一大イベントなんだ!(再三書いているが、競技ではない)
陽も少し上ってきた。
人々のざわめきが大きくなった。あ、そろそろカウントダウンなんだ。
そして、その時がやって来た。
「スリー、ツー、ワン、Go!」
スタートラインに陣取る、日本の選挙カーのようなクルマの上から、イベントを盛り上げる司会者がなにやら早口でまくし立てている。
先頭のランナーから歓声やピーピーといった口笛や、沿道からの大きな拍手。
司会者はずっとしゃべっているが、いよいよスタートしたんだ。
(自分はまだ走らない、フルマラソンの部だが、なんか一緒に感動している)
1万人のランナーの列がMCGに向ってはるか後方まで伸びているがそれも少しずつ動き始めた。
込んでいるので、ランナーたちは歩いたり、手を振ったり。写真を取り合ったり。話し込んだり。
あ、あとで自分もやろっと。
競技に参加する顔というより、イベントに参加するときの「楽しもうとする」顔ばかりだ。みな笑っている。微笑んでいる。そして緩んでいる!
1時間後のハーフマラソンスタートに備え、そろそろ自分も着替えや準備に戻ろう。
と、スタートラインからMCGに向ってスタート会場を後にしようとしたら、大分空いた歩道を猛スピードでスタートラインに向って走っていくランナーがいた。
書き忘れたが、参加するコースによって、選手たちのゼッケンの色が異なる。
ハーフマラソンは緑に白抜きの数字が入ったゼッケンを付けるが、スタートラインにむかっていく選手たちは赤っぽい色のゼッケン。
つまり、フルマラソンのランナーが付けるゼッケンだ。
事前には聞いていたが、スタート時間に遅れるランナーがとっても多いらしい。
大会事務局に陣取っている人に行くと、シティーから全速力で事務局(MGCなどのエリア)に向って着替えを行い、その後スタートラインに全力力で向かっていった。
さすがお国柄なのか、たくさんいるねえ。
記録よりも楽しむことを優先していることの表れなのだろうか。
それとも、単に寝坊した?
オーストラリア人のおおらかさを改めて実感したひと時でした。
さて、競技終了後、フルマラソン開始後30分遅刻して、ある日本人が参加したことを知るのであった。
写真の後方にメルボルンシティー。