突然ですが、東日本大震災がこの3月11日で10年を迎えました。
何度か被災地に行きましたが、被災地の復興が早い場所、まだまだこれからの場所、報道されているとおり、さまざまですね。
で、オーストラリアとなんの関係があるの?
とお思いかもしれませんが、大いに関係があります。
・震災発生時に救援した国の中でもっとも早かったオーストラリア
別に早さを競うものではないので、予めご了承を。それでも、災害発生後すぐにアクションを起こしたオーストラリアは72名の救援隊員を送っています。
ただ、当時の実際の印象はアメリカ軍の方が規模も大きく、報道も多かったし、宣伝もうまかったので(トモダチ作戦とも呼ばれた)、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか?)
その代わり、福島第一原子力発電所の放射能漏れの情報が拡散しだすと、早々に撤退することになりましたが(自国民を守るためには、仕方ないですが、それにしても早かった)。
そんな中、しばらくの間、救援に携わったオーストラリアの救援隊員の活動があまり脚光を浴びていないのが少し残念に思えました。
しかし、彼らはそんなことほとんど気にしてないようで、それはそれで称賛に価します。
・世界トップクラスで被災地入りしたのはオーストラリアが1番最初
こちらは記憶に残っている人も多いかもしれませんが、2011年4月23日、当時オーストラリアのギラード首相が、世界トップクラス(首脳級)では世界で一番最初に東北の被災地に足を運びました。
場所は南三陸町です。
オーストラリアの人って、「困っている人がいれば、助けるのが当たり前」というのが普通で、政治的な思惑の無く(いや、本当は裏であったかもしれませんが)、離れているとはいえ隣人に支援するのが当然、とばかり、普通に被災地に訪れただけに見えたのは私だけでしょうか?
その後、オーストラリアは、日本にあるオーストラリア大使館を窓口に、南三陸町の復興支援のため、数年間ボランティアなど支援で何度も足を運んでいました。
一時で支援して完了するのではないところがまたオーストラリアらしいです。
・そして、現在
その後の10年で世界は大きく変わりました。
2019年後半から長きにわたり、オーストラリアでは前代未聞の森林火災も発生し、日本の消防隊も支援に駆け付けました。
一方で、オーストラリアでも、日本との絆を深めていて、10年の節目のこの時期、いたるところで追悼のイベントを開催してもらっています。
背景には、公立学校による第二外語語の授業に、日本語の選択があり、日本への知名度が高いことにあるんじゃないかなあ、と推測しています。
最も、オーストラリアは移民の国。世界中からオーストラリアに移住していて、いろんな国の人が異文化と交流しているので、日本やアジアの国が突出して目立っているとは思いませんが、ただ学校で勉強している期間の記憶は、残っているからこそ日本に目を向けてくれているんじゃないかな?
そのあたりはいつかオーストラリアの教育関係の方にじっくり話を聞くとして。。
10年節目というのは一つの通過点。
復興はまだまだ半ばまでいってない、という方もいます。
この先5年、10年は日本、オーストラリアの関係の中で、私自身も風化させないように発信していきます。