ホントに楽しい!オーストラリア

~楽しいからには理由がある~

問題だけど少しうらやましいオーストラリア気質

今回は私の独断と分析です。

気を悪くされる方、先に謝っておきます。

 

東京オリンピック真っ盛りですね。

 

大会が終わった競技から続々と各国の選手は帰国していますが、そんな中、オーストラリアの選手のある一団も帰国の途に。

ある一団とは、出場した選手団が、帰国のJAL便で機内でどんちゃん騒ぎ」

を繰り広げることになりました。

 

やれやれ。

www.cnn.co.jp

これは、大人が対応するんであれば、あってはならないことなんです。

しかし、これがオージーだと、なかなか大人の対応ができなかったのかな。

(もちろん、他の帰国便でも同様の事が起きていたら国として大変な事態になっていますので、今のところこの便だけの問題のようです)

 

そこで起きた、「飲めや、歌えや」のどんちゃん騒ぎは、いわゆるティーンの専売特許、ではないものの、オーストラリアの旅行中に、良く出くわしました。

(主に新聞記事、地方のテレビニュース)

 

ティーンのだれかの誕生日をホームパーティー形式で開く。

・大勢の友人を招くと、更にその友人まで付いてくる。

・たいていは親のいない間に開かれる

・一戸建ての場合は、庭はプールもあり、飛び込みなど大さわぎ。

あまりの騒ぎに警察が出動し、更に大さわぎになり、マスコミも駆けつける事態に。

(この10年でもっとひどくなり、SNSでパーティーが告知されるともっと人が集まってしまい、住宅地では大騒動になる、と新聞記事で読んだことがあるが、それがどのくらいの騒動なのか、被害があったのか、までは記憶してません)

 

他にも、大雨洪水警報が出ようものなら、「今すぐ非難して」身の安全を守りましょう、となるのが日本ですが、オーストラリアではそうしない若者がいたり。。。

karapaia.com

なんと、大雨で濁流の発生する河川でサーフィンする輩(やから)。

 

これ、日本だったら避難勧告が出てる規模だし、非難ごうごう、迷惑そのものですよね。

 

他にも大雨でできた街中の水たまりでサーフィンを練習する若者、サメが出るかも、というのに、波が高いからと海に繰り出す若者、ホント何を考えているんだか。

 

危険を承知でチャレンジする若者が中にはいるでしょうけど、だいたいは後先考えない「無謀な連中」としか見えない!

 

実は、これが無謀なのかどうか、とても判断に迷うところ。

 

よく、オーストラリアの人(多分他の国の人も言っているかもしれませんが)は、「人生は短い、今を楽しもう!」が生活の中心で、今しかできないことを今やろう、という発想(というか、遺伝子)が身体中に組み込まれているんじゃないかと思います。

 

で、実際に、今しかないと思えば、楽しいことをやる方がいいですよね。

 

だから、自分が「楽しい」「嬉しい」「おいしい」ことであれば、今やっちゃおうということになるんではないでしょうか。

 

オリンピックに出場した選手たちも、日本での(閉鎖された)選手村から解放されて、帰国の途の間、心のたがも外れて「あ、お酒があるから、今飲んで楽しもうよ」という流れになるのは当然だったんじゃないでしょうか。

 

ここに、もう少し上の大人が「今はコロナで世界中ががまんしているんだから、君たちも帰国まで我慢しようよ」とホントに言ったかどうかしりませんが、そんな言葉があれば、多少は違ったかもしれません。

(現に、世界中に散らばっているオーストラリア人が、1年経ってもいまだ帰国できず。一方のアスリートは、難なく国境を行き来できる。こんな不公平な環境にいる同郷の国民(帰国を待っている家族)がいることに思いをはせることができないのも彼らのメンタリティーなのか)

 

ただ、翻って、他人の迷惑にならないよう、ただひたすら相手の都合に合わせて、「死ぬまでずーっと何ごとにも我慢し続けて生きている日本人の生き方」ってどうなんだろうかと思ってしまいました。

 

そんな日本人ばかりではもちろんないですが、それでも多くの日本人が「今楽しむことばかりを考えるのはやめ、将来のことを考えようよ」と、やりたいことを先延ばしにしてきた人が大多数なんじゃないでしょうか(あ、自分もその一人か!)

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海の向こうは大雨?メルボルン セントギルダ

大人なんだから、世の中やっていいこと悪いことの境界線を引くことはできる。

だけど、生きていく上で刷り込まれた遺伝子(またはDNA)はそう変わらない。

その遺伝子が強く前面に出てくると、そんな境界線が悪天候でかすんでしまい、軽々と乗越えていく、頭で判断するのではなく、身体が勝手に動いていく。

それが、オージーの生活スタイル「今を楽しもう。人生は短い」んだったら、起きる成り行きは結構想像できるものです。

それを頭から「ダメじゃない、そんなこと」

と思いつつ、その根底に流れる生活中心、やっぱり自分が楽しまなきゃ!という発想は、残念ながら日本人の自分にとっては非常にうらやましい。

 

とても矛盾したことを書いてますが、一度は憧れる「生活大国オーストラリア」の一面を今回オリンピックの帰国の途で垣間見た気がします。